御厨神社

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由緒

祭神

応神天皇(誉田別命) 菅原道真 素蓋鳴命(牛頭天王) <三社相殿>

『播磨鑑』には天満宮とあって、左天満天神(菅原道真) 中八幡宮(応神天王、神功皇后) 右牛頭天王を三社相殿に祀る、とある。

境内社

高良神社(武内宿称、大年神)大年神は大正8年6月西二見字野々口より合祀
霊牛神社(渡会春彦) 金刀比羅神社(大物主命) 秋葉神社(武甕槌命)
朝日神社(天照大神) 夕日神社(豊受大神) 由加神社(手置帆負命)
稲荷神社(宇迦能魂命 大山祗命)大正2年2月合祀

由緒

往年の火災により、社殿と共に記録文書を消失し創立の年月は不詳。社伝によると、神功皇后の西征の際、この二見浦に船を泊めて船子を加え兵糧を集めた時、土地の者が食物を奉ったところという。
その事故によって御厨(神饌を調進する所)の名が起った・・・。だが、この御厨という言葉は、主として伊勢神宮について使用されることから、伊勢神宮の荘園ではなかったかとの説もある。

貞観年間(859~877)に八幡宮を勧請。延喜元年(901)菅原道真が筑紫大宰府に左遷されて西行の途次、船をこの浦に寄せて社地に上陸した所縁により、寛和年中(985~987)に天満宮を勧請。

この当時の社地は君貢神社(二見町東二見1)付近と伝え、菅原道真が西下の時、一夜の宿とした岡を“仮寝の岡”といい、そこに手植えした松を“仮寝の松”として神木とされ、二見の名所であった。松は枯れたが、石碑は残っている。

しかし、菅公が休息したのは現在の社地であるという説もあり、鳥居の傍らの松に“菅公腰掛松”というものがあったといい、また菅公が右大臣であったところから、大臣の唐名・丞相を冠して地名とした丞相谷は現社地の南方にある。

以上の説はともかく、現社地が卯ノ花ノ森に移ったのは長暦年間(1037~1040)と伝えられる。卯ノ花ノ森は常盤木の森ともいい、付近一帯を御社の岡と呼ぶ。

土地柄から船頭や回船業者など海運関係者の尊崇が厚く、拝殿内に帆前船の絵馬と模型が奉納されている。

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